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2012年2月1日水曜日

琴平古墳群


インターパークの東端に、琴平古墳群の1号分が国道新4号沿いに公園として整備されています。

この辺は、インターパークが開発される前は森でした。

私はこの近くで育ちましたが、インターパークの開発が始まるまで
この古墳の存在知りませんでした。


琴平古墳群 1号墳


解説板


周りの円墳は無くなってしまいましたが、石棺が解説板の脇に保存してあります。

石棺

石棺の解説板

北側より



発掘作業中の円墳(2000年に撮影)

2010年8月22日日曜日

おしどり塚の碑




「おしどり塚」という説話にちなんで、明治時代に建てられた石碑がこの公園に立っています。





説話の内容についてはこちらなどを参考にして下さい。(手抜きですけど)
YouTube - まんが日本昔ばなし 「おしどり塚」


2010年6月13日日曜日

蒲生神社


県庁と八幡山公園の間に、寛政の三奇人の一人、蒲生君平を祀ったが有ります。








県庁の東側の通りから見える鳥居は、大正時代に活躍した、栃木県出身の大横綱、栃木山によって奉納さたものです。
 ちなみに、春日野部屋の力士の四股名に「栃」の字が付く力士が多いのは、栃木山から来てます。
(例えば、栃錦、栃ノ海、栃乃和歌、初代栃東、栃ノ心など)



肖像画の看板などもおいてあります。




本殿の脇に、宇都宮出身で、初代横綱とされている明石志賀之助をの石碑が、栃木山によって立てられました。
石像は以前は無かったと思うので、最近作られたのだと思います。




ナゼ、こんなにギョロ目?。
石像の目力はすごいのですが、実際の相撲での実力は、大した事は無かったと言われています。

雷神社(御蔵山古墳)

県庁の北、蒲生神社の石段の下の鳥居から左側を見上げると、
雷神社の鳥居が見えます。




御蔵山古墳の墳頂が削平され、雷神社が立てられています。




神社の建立と県庁の建設工事で削られてしまって、古墳の原型はとどめていないそうです。

今泉八坂神社


宇都宮駅より北に1kmほどのところに有ります。

宇都宮城の鬼門よけとして、平安時代の終わりごろに建立されたそうです。









旧篠原家住宅





宇都宮駅の直ぐ近くに有る、「国指定重要文化財・市指定有形文化財」です。
江戸時代の商家跡です。

2010年5月23日日曜日

塙田八幡宮

八幡山公園の山腹に鎮座してます。
主祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)。
寛政年間(17世紀)に宇都宮藩主奥平昌能が建立したと伝えられてます。









神社の南に小さな動物園が有ります。

仲良しのチャボのカップル↓

2010年5月20日木曜日

琴平神社(曲師町)

御橋通りにあります。詳しい沿革はわかりません。



2010年5月19日水曜日

熱木不動

「にえきふどう」と読むのが正しいようなのですが、「ねぎふどう」と呼ぶ人もいるようです。




旧地蔵寺

かつて、台陽寺に隣接していた地蔵寺。

今、その敷地の一部は、一向寺(汗かき阿弥陀が有名)の墓地になっています。

台陽寺

不動前通りから少し奥に入ったところに山門がみえます。
元々は宇都宮城内にあったものを、本多正純がこの場所に移しました。





18世紀に作られた古地図を見ると、昔はこの近辺には寺が多かった様で、北隣りに地蔵寺、西隣りには源奥寺、また道の向かいには天照寺、栄林寺、万松寺が描かれていますが、今は有りません。


不動前通りから山門までの間に子安地蔵が安置されています。



2010年5月17日月曜日

大いちょう

まわりより一段高くなった上にあるため、より巨大に見えます。

築山の植えられているように見えますが、元々この場所は、は宇都宮城の三ノ丸と百間堀を挟む土塁があって、その土塁の上にイチョウの立っていたのですが、イチョウのある部分以外は削られてしまったので、結果、このような形になってしまいました。




石垣のプレートには、太平洋戦争時の空襲で真っ黒焦げになったけど翌年には新芽が出てきたとかいうお話が書いてあります。

旧英巌寺

英巌寺は、宇都宮藩主の戸田氏の菩提であった寺院で、戊辰戦争時に焼失して廃寺となり、今は戸田氏の墓所のみが公園として残っています。

場所はの滝沢病院に隣接していて、滝沢病院の北側の路地に公園の入り口が有ります。




狭い道を進むと墓所の広場に出ます。



かつては、1万坪近くの敷地を土手が囲み、堂宇の立ち並ぶ立派な寺院だったそうです。








この大きなイヌツゲは、往時の隆盛を感じさせます。

2010年4月24日土曜日

菅原神社

徳田浩淳著「宇都宮の歴史」よると、
「天慶年間(938~947年)に、陰陽師の安倍晴明が宇都宮城の縄張りの際に菅原公を祀った」
と書いてあります。

また、神社の前に有る案内板には天喜年間(1053~1058年)に、源頼義が安部貞任を攻めた(前九年の役)の時に宇都宮宗円が朝敵調伏祈祷を行い、頼義が奥州平定すると、宗円の調伏も功績と認められて下野国守護に任ぜられ、宇都宮に居城を築いて、その東西南北に天満宮(菅原道真)を祀った。東方に当たるのが当社である。というような事がかいてある。
何れにしても、1000年近い歴史が有るのです。





2010年4月21日水曜日

古地図のデジタルアーカイブ

国立公文書館デジタルアーカイブにて、古地図を見ることが出来ることを知りました。

「下野州河内郡宇都宮地図」という名前の地図が江戸時代の宇都宮城下の地図なのですが、宇都宮は2度の戦災(戊辰戦争と太平洋戦争)にあっていて、その都度焼け野原になったので、現在とはかなり違っているます。

江戸時代の宇都宮城は南北約1.2km、東西約1kmで、四重(場所によっては三重)の堀と土塁を張り巡らした城でしたが、そのほとんどが整地されて市街地となってしまい、面影を残す場所は少ないです。

田川、釜川の川すじや寺社の位置は、ほぼ現在と同じのようなので、そこから類推することができます。

機会があったら、プリントアウトした古地図を持って、自転車で散策しに行こうと思います。

2010年4月14日水曜日

六道閻魔堂

六道辻にある閻魔堂です。光琳寺さんが管理なさっています。




江戸時代元禄年間に建立されたが戊辰戦争時に焼失。
現在のお堂は明治時代に再建されたものです。
敷地内には遊具も設置されています。



享保一九年(1734年)と彫り込まれた石碑。
正面には「南無阿弥陀仏」?




滑り台の上から六道辻を見下ろしてみます。

2010年4月13日火曜日

蒲生君平勅旌碑

宇都宮出身の偉人を讃える石碑です。




蒲生秀実(通称:君平)1768~1813年

松平定信の寛政の改革で有名な寛政期に、林子平、高山彦九郎らとともに「寛政の三奇人」と言われた人です。

ちなみに、ここで言う「奇人」とは、単に変人ということではなく、理解できないほど優れた人という意味のようです。

林子平は海防の重要性を説いた人物でした。
また、高山彦九郎が尊皇運動家でした。

蒲生君平はこの3人の中では一番年下で、元々尊皇思想論者でしたが、ロシア軍艦が日本近海に出没するようになると海防の重要性を世に訴えるようになります。
(おかげで閑居をさせられる)


私の愛読書、みなもと太郎氏の歴史ギャグ漫画「風雲児たち」では、林子平や高山彦九郎は細かく取り上げられているのですが、蒲生君平は前の両名の中間的な考えの持ち主で内容がかぶる為なのか、数コマしか登場しません。


水戸の藤田幽谷などと親交が有ったためだと思うのですが、歴史関係の研究に熱心だったようです。大日本史を補完する目的で書かれた研究書を残しています。


代表的な著作に「山稜誌」があります。
この中で使われた「前方後円」という言葉から、後に「前方後円墳」の用語が生まれました。


この石碑は不動前通りに有ります。